PLATFORM2010 寺田真由美-不在の部屋/若林砂絵子
練馬区美術館の「PLATFORM2010 寺田真由美-不在の部屋/若林砂絵子-平面の空間」を見に行った。寺田真由美さんとは「下着シリーズ」の頃にお会いしたことがあるが、その後の作品についてはよく知らなかった。今回の展示は、作家自身が作ったミニチュアの室内を撮影した写真のシリーズで、窓からは実際の風景が覗く。画面は美しく、リリカルだが、室内には生活をうかがわせるものはなく、それが見る者に一種の不安を呼び起こす。作家自身によればそれは「不在」を暗示しているのだという。充実した連作だと思う。
一方の若林砂絵子さんとはおそらく画面上の「空間」という主題において結び付けられているのだろう。こちらも充実した作品が並ぶ。作家の技巧が優れている故に-抽象の油彩画
-というモダニスティックな表現に、かえって空間に対する独特な視点を見逃しまいがちになった自分に気がつく。モダン・アートの表現から現代性をいかに引き出すかは、作家と企画者の双方に問われる課題だ。
美術館が成果を求められるようになって、集客力のある大家か、事業の実施意義が分かりやすい若手作家の二極に企画が集中する傾向が顕著になってきている。充実した制作活動と業績を紹介し、また新たなクリエイションを生みだす場として、本当の意味で美術館レベルの大きな展示空間が必要とされているのは30代後半~50代の作家であるのだが、現実はこの点を美術館は十分にフォローできていない。もちろんグループ展という方法はあるが、これも個展に比べて意味を伝えにくく、結果として集客という点でも劣るため、体力のない美術館には難しいという現実がある。
そうした意味で練馬区美術館で始まったこの「PLATRORM」というシリーズが、特に中堅作家を紹介していこうとするのであれば注目していきたい。もともと見る側には、最新の潮流を追いかけることはある人にとっては楽しみであったとしても、義務ではない。この展覧会の宣言文でいみじくも述べているように「”自分という実感”を新たな角度で考える」、つまり自分に響き合う表現をみつけることが喜びのはずだ。数字ではない作品と観客の対話を生み出すためには、この展覧会のように上質さが必須であり、私たちはそれを評価する言葉を持っていきたい。(関)
一方の若林砂絵子さんとはおそらく画面上の「空間」という主題において結び付けられているのだろう。こちらも充実した作品が並ぶ。作家の技巧が優れている故に-抽象の油彩画
-というモダニスティックな表現に、かえって空間に対する独特な視点を見逃しまいがちになった自分に気がつく。モダン・アートの表現から現代性をいかに引き出すかは、作家と企画者の双方に問われる課題だ。
美術館が成果を求められるようになって、集客力のある大家か、事業の実施意義が分かりやすい若手作家の二極に企画が集中する傾向が顕著になってきている。充実した制作活動と業績を紹介し、また新たなクリエイションを生みだす場として、本当の意味で美術館レベルの大きな展示空間が必要とされているのは30代後半~50代の作家であるのだが、現実はこの点を美術館は十分にフォローできていない。もちろんグループ展という方法はあるが、これも個展に比べて意味を伝えにくく、結果として集客という点でも劣るため、体力のない美術館には難しいという現実がある。
そうした意味で練馬区美術館で始まったこの「PLATRORM」というシリーズが、特に中堅作家を紹介していこうとするのであれば注目していきたい。もともと見る側には、最新の潮流を追いかけることはある人にとっては楽しみであったとしても、義務ではない。この展覧会の宣言文でいみじくも述べているように「”自分という実感”を新たな角度で考える」、つまり自分に響き合う表現をみつけることが喜びのはずだ。数字ではない作品と観客の対話を生み出すためには、この展覧会のように上質さが必須であり、私たちはそれを評価する言葉を持っていきたい。(関)